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移住と「日系人の母」ミランダ女史
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移住について
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ハワイから北米、ブラジル・ペルーをへてパラグアイへ。日本人移住の歴史。
 日本人の移住は明治初頭、ハワイへの渡航から始まる。ハワイがアメリカの一部となることで北米への移住も開始されるが、その後、排日移民法が定められたことによりアメリカへの移住が禁止される。そこで、南米のブラジル、ペルーへの集団移住が行われるのであるが、移住者である日本人と先方国との意見の食い違いなどから、移民の脱走や紛争にまで発展。そうしたことを背景とし、ブラジルでは移民二分法を発令。当時年間2万人を超えていた日本人移住者数を、年間2,500人までに制限した。

 これによりパラグアイへの移住が急速に進み、1935年には日本人移民 百数十家族がパラグアイへの入国許可を取得。翌1936年に原野に設定されたラ・コルメナ移住地への入植が開始される。第二次世界大戦の勃発により、移住は一時中断されるが、戦後1954年、チャベス移住地への入植で再開し、1950年以降ラ・パス移住地、ピラポ移住地、イグアス移住地が建設され、パラグアイへの移住は本格化の一途を辿る。

 移住者は原生の林を切り開き、広大な赤土の土地を開拓した。移住者が持ち込んだ農業の技術は、元々肉が主であったパラグアイの食卓に野菜や果物の彩りを添え、今ではパラグアイの重要な輸出農産物のひとつである大豆を導入したりと、パラグアイの農業に貢献してきた。現在、日本に対するパラグアイ国民の信頼と評価は、極めて高いものになる。それは、移住者の並々ならぬ努力と苦労が重なり、築き上げたものと言えるのではないだろうか。
















※移住に関する詳しい情報はJICA移住資料館をご覧ください。
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